御伽病棟悠遠地

中二病末期隔離施設

終の棲家

 今年の5月に、父が救急搬送されました。

 それを母から知らされたのは数日経ってからのこと。救急車で運ばれることは何度かあったけれどそのまま入院と聞いてきっとただ事ではないだろうと思いました。
 病名は「パーキンソン病」で、難病の神経疾患。以前から関連の治療をしていたらしいが、薬が嫌だから処方されても飲まなかったことを聞いて、自業自得なのではと思ってしまいました。

 昔から父と母の仲は悪く、というか、母が一方的に嫌っていて、わたしも父のことは嫌いでした。再婚同士の結婚なので、仲が悪いことは双方に原因があります。わたしは母が受けた屈辱的な物事の数々を小学生の時からずっと覚えていて、わたし自身も父に裏切られたことがずっと残っており嫌悪感が拭えず大人になりました。

 母はわたしが社会人になった機会で実家を出て別居しました。驚いたのは、移住先のマンションを現金で購入したこと。もちろん母自身のお金ということなので、その決意は相当前からしていたのでしょう。

 わたしも社会人になってからは実家には身を置かず父のことを避けていました。気持ちが悪いから。わたしのことを育ててくれて、しかも奨学金もなしに大学まで通わせてもらって、そんなことを思うのは最低の人間だと思います。でも、産んでくれと思ったことはないし、再婚という難しい環境で勝手に子どもを作ったのは両親の都合だし。母がわたしがおなかにいるときから父親のことが嫌いだったと言っていたので、自分の生の意味も分からない。ありがたみも感じない。

 正直、父は実家で孤独死をすると思っていました。なるべくしてなった環境。身から出たサビ。本人は自覚がないけど、取り返しのつかないことをした。浮気とか暴力とかではないけど、嫌悪感を持ち続けている人間とひとつ屋根の下にいたいと思わない。

 実家で孤独死されたら事故物件になるし後片付けもキツいし。そんな考えだったためそのため入院と聞いて幾度か安堵しました。コロナウイルスの影響で面会はできないけど「もう介護なしでは生きれない」「病院や施設からは出られない」ということだけを聞きました。

 今は近隣の老人ホームにいます。要介護レベルは最高で、逆に今までどうやってひとりで暮らしていたのか分からない。車の運転とかはしていたけど、犠牲者を出す前でよかったのかもしれない。

 父にとってきっとその老人ホームが終の棲家。わたしは遅い子供なので父は現在70歳を過ぎています。結局わたしは生まれたころから望んでいた普通の家庭を知らないまま。父のことが憎いかと言われれば、関わりたくないが大きい。こんな気持ちのままでは、きっと、亡くなった後に絶対後悔するとは思う。でも小さい頃に少しでもあったはずの楽しかった思い出は、全部嫌悪感に塗り替えられているから、もう無理なのだ。

 歩み寄って寄り添うことはできない。わたしが払っている年金が支えているからそれで充分でしょ、くらいの気持ちです。

 施設に入れられてしまい自分のまわりことは何もできず、自由もなく過ごすことを考えると確かに心は少し痛むけど、因果応報だと思います。家族を蔑ろにした代償って、こんな時に帰ってくるんだなぁと思いました。

 わたしには兄弟が何人かいるけど、この気持ちを共有できる兄弟はいない。異母兄弟と異父兄弟だから、わたしと同じ状況の人間はいない。いつか異母兄弟と揉める日が来るかもしれないが、この痛みだけは絶対に分からないから、軽んじられたりしたら怒っちゃうかもね。あなたたちにとっては普通の父親でしたか?って問いたい。